背景
近年、自然との共生や環境への配慮が、私たちの暮らしや企業活動においてますます重要なテーマとなっています。未来の世代に豊かな自然を引き継ぐために、今、私たちができることを考える機会が増えてきました。
2023年に環境省は持続可能な世界の構築に向けた潮流として「生物多様性国家戦略2023-2030~ネイチャーポジティブ実現に向けたロードマップ~」を策定しました。これは生物多様性分野において新たに目指すべき目標として、自然を回復軌道に乗せるため、生物多様性の損失を止め反転させる「ネイチャーポジティブ」を掲げています。ネイチャーポジティブとは、自然環境の損失を食い止め、回復させることで、生物多様性の損失を反転させ、自然と人間社会が共に豊かになる未来を目指す考え方です(図1)。単なる保全にとどまらず、自然資本の再生を通じて、持続可能な経済や暮らしの基盤を築くことが求められています。
生物多様性を測るためには、目視や採捕といった生物調査方法が用いられてきましたが、生物を同定する専門家の必要性など、多大なコストを要していました。そこで前述の国家戦略にも記載されている環境DNA分析という技術が注目されています。環境DNAはコップ一杯の水から生物の在・不在を分析することができる技術で、本コラムではその詳細を説明します。

(引用:環境省 自然環境局, https://www.env.go.jp/content/000116996.pdf)
環境DNA分析について
環境DNAとは、水中に残った生物の体液や鱗、糞便由来のDNAのことです。その環境DNAを抽出して解析することにより、その環境における生物の生息状況を推定する手法を環境DNA分析と呼びます。

水試料からの環境DNAはフィルター濾過によって濃縮します。その濃縮した試料を市販のキットを使ってDNA抽出を行います。抽出された環境DNAの抽出液を用いて、目的に応じてPCRを始めとした前処理を行って解析をしていきます。 環境DNA分析は、大きく分けて種特異的分析と網羅的分析(メタバーコーディング分析)の二つの方法があり、弊社ではその二つの方法について受託分析を行っています。
1)種特異的分析
種特異的分析はリアルタイムPCRと呼ばれる方法を使って、特定の生物種の在・不在やDNA量を定量的に示すことができます。リアルタイムPCRとは、蛍光色素や蛍光プローブを利用して増幅されたDNA量をサイクルごとにモニタリングすることにより、DNA量を定量する方法になります。弊社では主にTaqmanプローブを用いて分析を行っております。
よく問い合わせをいただくことですが、環境DNA分析によって個体数を調べたいというお客様がいらっしゃいます。残念ながら環境DNA分析によってわかるのはあくまでも「DNA濃度」であって個体数ではありません。なぜならばDNAは生物の死骸などにも含まれていることや、その環境の要素(川の流れなど)によっても濃度は変化するからです。しかし連続的にデータを取得することで、その生物種の増減を推定することができます。

ここで弊社の取り組みの一つを紹介させていただきます。
「環境DNA解析を用いたチャネルキャットフィッシュの生息調査」
チャネルキャットフィッシュ(アメリカナマズ)は強影響外来種に選定されています。滋賀県では2019年に琵琶湖において侵入が確認され、定期的に駆除調査を行っています。環境DNA分析と採捕調査との比較および外来種駆除の効果の検証を目的として、滋賀県水産試験場と山中教授(龍谷大学)と共同研究を行いました。
結果、環境DNA分析と採捕調査の両方で洗堰周辺に比較的多く生息していることが確認でき、環境DNAと採捕数を比較して駆除効果を見ると、環境DNA分析の方が感度が高いということが分かりました。

2)網羅的分析
網羅的分析は次世代シーケンサー(NGS, Next Generation Sequencer)を使って、特定の分類群(魚類など)の種構成を示すことができる分析方法になります。特定分類群の種判別が可能なDNA領域(超可変領域)をPCRによって増幅し、そのPCR産物のDNA配列を次世代シーケンサーで読む方法となります。弊社では次世代シーケンサーはイルミナ社のiSeq100を使用しております。

ここでも弊社の取り組みの一つを紹介させていただきます。
「滋賀県 西の湖における調査」
琵琶湖の最大の内湖である西の湖では、近年アオコの発生による水質汚濁が深刻な問題となっています。弊社では、西の湖における水質調査を行うとともに、魚類相の把握を目的として、流入河川及び湖において、環境DNAを用いた魚類の網羅的分析を実施しています。


環境DNA保存液(塩化ベンザルコニウム溶液)について
環境DNAは環境中からごく微量なDNAを抽出するため、試料中でのDNA分解を抑制することが重要になります。弊社では龍谷大学および神戸大学との共同研究において、塩化ベンザルコニウム溶液を水試料に添加することで環境DNAの長期保存が可能となることを実証しました (Yamanaka et al., 2017)。環境DNA保存液は、「環境DNA調査・実験マニュアル(環境DNA学会)」にも記載されており、その特許は龍谷大学、神戸大学、日吉が保有しております。弊社に分析依頼を頂いた場合は特許使用許可は不要になります。

昨今、全国に5自治体(東近江市、名古屋市、福岡市、唐津市、大潟村)がネイチャーポジティブ宣言をして、また延べ1000を超える企業や団体が発出しており、生物多様性の保護に対する意識が高まっています。現在の世界はネイチャーネガティブな状態にありそれを反転・回復させるというのがネイチャーポジティブの考え方です。しかし、現在ではそのネイチャーポジティブの指標というものがどのような具体的なものであるかが明言されていません(環境分析をやっている人間からすると基準値は?目標値は?となってしまうのですが)。今後、世界中における取組の中で具体的な指標などが出てくると思いますが、その中で環境DNA分析は大きな役割を持つと考えています。また国の動きとしては、全国の1級河川(109水系)などにどんな生き物がいるかを調べる「河川水辺の国勢調査」で、国土交通省が環境DNA分析を2026年度から初めて導入することが決まっています(2025年10月8日 朝日新聞)。私たち日吉は「社会立社・技術立社」を社是に掲げていますので、世の中に役立つ技術をもって社会に貢献していきたいと考えています。
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(このコラムの監修者:分析検査部 松田)